睡蓮の牧歌

古代エジプトが舞台の物語。メイベル・コリンズの手による象徴的なお話です。

6章

 目が覚めると、神殿内のかつての私室にいた。少年の時に初めて恐怖に襲われた頃、住んでいた部屋だ。

 私はとても疲れており、最初に感じたのは耐えられぬほどの疲労感だった。それは全身をしびれさせるほどであった。もうしばらく横になって、この不快感のことだけ考えていた。

 すると急に、きのうの出来事が記憶に蘇った。まるで太陽が昇るように。私はまたあの母なる女神に出会ったのだ。そして女神の保護下に戻してもらったのだ。

 苦痛も疲れも忘れて起き上がる。ちょうど夜明けで、高窓からかすかな薄明かりが、やさしく部屋に差し込んでいる。部屋は高価な織物や豪華な刺繍で光り輝いている。王子様の部屋のように見慣れぬ美しい物であふれている。その珍しい形と高窓のため、幼い頃に私を喜ばせるために花を庭のように飾られた、あの部屋と同じ場所であるとは、ほとんど思えない。

 室内の空気は重くてどんよりし、外の大気の中へ、朝の真新しい新鮮さの中へ行きたくなった。若い強さを取り戻し、生まれたてのようになることなど、とてもできぬほど疲れて外の空気を必要としていた。それにここの香を焚いた大気と、重々しい厚地のカーテンと、ぜいたくな品の重圧が私を圧迫するのだ。

 カーテンを開け、二度目に私の私室であった大きい部屋へ移動する。そこは空っぽで静かだった。大きい廊下もそうだった。私はそっと長い廊下を進み、庭園に向かって開く門扉のところへ着いた。近づきながら鉄格子の向こうに草のきらめきが見えた。ああ、美しい庭園! あの水の中を泳いだ、麗しい睡蓮の池よ!

 鉄の門扉は固く閉じられている。でも鉄格子を通して草や空や花が見える。私は細い隙間から、さわやかな空気を吸い込む。その時、セボウアが現れた。庭園の小道を歩いて来る。彼は私が立っている鉄の扉へとまっすぐにやって来た。

 「セボウア!」と私は叫ぶ。

 「ああ、おまえさん、ここにいたのか」と彼らしい無骨な物言いで彼は言う。「大人も子供もやることは同じなんだな。でもセボウアはもうおまえさんの友達じゃないんだ。あっしは失格になって、もう戻る気もない。おまえさんの子供の時に、あっしは二人のご主人を両方とも怒らせてしまったんだ。二人が許さんから、おまえさんの手をしっかりつかむことはできん。そうならそうせよ、だ。おまえさんは今や孤高の人なのだ」

 「扉を開けてくれない?」としか、私は言えなかった。

 「だめだ。もう二度と、永久に、おまえさんのためにここが開けられることはないんじゃないかな。でもそれが何だと言うんだ? おまえさんは神殿の寵児たる祭司、いとし子、大事な人だろう?」

 「いいや、違うよ。私はもう、そうじゃないんだ。もう、頭がおかしいと言われた。今日もそう言われるだろう」

 セボウアは哀れみの目で私を見る。「おまえさんは殺されるだろう!」と、慈悲と同情に満ちた低い声で言う。

 「そんなことできやしない」と私は微笑んで言う。「女神が守ってくださるだろう。女神がお望みになることをすべて話すまで、私は生きるよ。それが済めば、どうなろうと気にしないよ」

 セボウアは、黒い服の襞に隠しておいた手を出した。その手に睡蓮の花のつぼみを持っている。それは緑色の葉をベッドに横たわっているように見える。

 「これを持ってお行き。おまえさんのために持って来た。おまえさんにはこの花の話す言葉がわかるだろう。持ってお行き、そして行った先でこれが幸いをもたらしますように。馬鹿なあっしは、陳腐なあいさつは省略するが、使者となるにふさわしいんだよ。喜んで使いになるよ。これはおまえさんを喜ばせるだろう。おまえさんは聞いて話すことができ、学び教えることができるのだから」

 そう言うと彼は即座に立ち去った。そう言いながら彼は私に、狭い格子の隙間から花を押し付けていた。注意深く花を引き寄せる。今、私の手の中にある睡蓮の花。私は満ち足りて、他に何もいらないのだった。

 部屋へ戻り、花を持ったまま腰を下ろす。遠い昔、まだ子供だった時に同じことをした。同じこの寝台に腰かけ、睡蓮の花を持って、中心を見つめていた。あの繰り返しだ。あの頃、私には友であり導き手であるお方がいた。目に見えない慈悲の母とのきずながあった。今やっと、あの時持っていたきずなの価値がわかる。当時はわからなかった。あのきずなが簡単に私から奪われることがあり得ただろうか? とんでもない。

 今、睡蓮の言葉がわかる。あの時はそれ自身の美しさを保っておくためにどうしたらよいか、花は何も語らなかった。今、花が私の目を開かせ、見える。花が私の耳の覆いを取り、聞こえる。

 私は円陣に囲まれている。神殿で知らないうちに教えていた時と同じように、周りを取り巻かれている。それは祭司たちだった。かつて、ひざまずいて私を崇拝した人たちのように、白いローブを着ている。だがこの方々はひざまずいていない。立って、同情と愛の深いまなざしで私をじっと見下ろしている。何人かは年をとって威厳があり、強健でたくましい。何人かは若くてほっそりと痩せており、若々しい輝きが顔にあふれている。私は畏れ入って見回し、希望と喜びに震えた。

 それが何の同胞団か、教えられなくても私にはわかった。それは私の先達、至聖所の祭司、透視能力者、睡蓮の女神に選ばれた使徒の方々だ。彼らはそれぞれが後継者で、不活発な神殿に逆らって大きな岩から最初に至聖所が作られて以来、至聖所を保護し、その神聖さを保ち続けてきたのだと私にはわかった。

 「学びの用意はできているか?」一人が私にそう言う。忘れられた遠い昔から呼吸しているように思われるお方だ。

 「できています」と私は答える。そしてその不思議な、神聖な円陣の中央で、地にひざまずく。体はそれを感じるが、霊は高く舞い上がる感じがする。ひざまずいたが、私を取り囲む方々によって私の魂は上昇させられたのだとわかる。これからは彼らは私の兄たちなのだ。

 「そこにお座り」と彼は寝台を指差す。「座って君に話そう」

 私は立ち上がり、寝台へ移動する。気がつくと私とその方だけがいる。他の方々は私たちを残して去った。残ったお方は私のとなりに腰かけ、話し出す。彼は私のハートに、死に絶えた時代の英知を注ぎ込む。それはとこしえに生き長らえる英知であり、それを始めに伝授された弟子たちの人種は記憶にさえもう残っていないが、当時のままの新しさである。私のハートはこの太古の知識と真理の新鮮さに、生き生きとしてきた。

 その日一日中ずっと、彼は私のとなりに座って教えた。夜になると彼は手で私の額に触れ、去って行った。眠るため横になりながら、きのうからその師匠以外は誰にも会わなかったことと、何も食べていないことを思い出した。だがまだ学ぶことに飽き足らず、疲れきってもいない。傍に睡蓮の花を置き、すぐに眠りに陥る。

 目覚めた時、睡蓮の花に誰かが触れたような気がした。だが私しかいなかったし、花は無事だった。この部屋と隣の部屋を仕切る分厚いカーテンのそばに、テーブルがある。そのテーブルの上に食べ物が置いてある。ミルクとケーキだ。きのう丸一日、何も食べなかったので嬉しく思う。花を服の中にしまい、テーブルの上のミルクを飲み、ケーキを食べる。すると新たな力が湧いて来て、寝台に戻りきのう学んだことを沈思黙考しようという気になる。きのう学んだことが、栄光の果実となるはずの黄金の種であることを、私は知っているからだ。
 ところが、そのまま止まってしまう。ハートがゆっくりと私の中で重くなる。また私の周りを、美しい円陣が取り巻いていた。きのう教えを授けてくれたお方は、私を見て微笑むが、何も言わない。別の方が近づいて来て、私の手を取り、寝台へと連れて行かれる。再びそのお方と私だけが残される。

 孤独だ、だが孤独ではない。そしてもはやいかなる時も、孤独ではなくなったのだ。彼が私のハートと魂を手に取って、そのむき出しの有様を見せる。いかなる架空の神聖さにも弱められない、ハートと魂を。彼は私の過去を手に取って、その無知な、暗い、醜い不毛さを見せる。その過去も、あるいは豊かなものにできたかもしれなかった。今まで私は無意識のうちに生きてきたように思われる。今、再び私自身の人生を導かれ、そして澄んだ目でそれを見るよう命ぜられたのだった。通り抜けた部屋べやは、暗く、物悲しかった。その中でいくつかは、とても恐ろしい場所であった。今や私はカーメン・バカにかつて読み取ってあげた魔術に打ち勝った。他の人たちと同じように、私も欲望とそれを満たすことのために存在していた。そして快楽の喜び、美の喜びに浸り、酔った人のようになり、自分が何をしているか知らなかった。過去を思い出しながら、あの時はまったく意味がわからなかったセボウアの言葉がわかった。本当に私は神殿のいとし子だった。私の肉体が快楽に浸っていた時、そして飽満のおぼろげな眠りに沈黙させられた時、この唇と声とは闇の女王の意のままになったからである。

 闇の女王は私の肉体のエネルギーを通して自らの望みを知らしめ、己れの喜びのためにすべてを捧げた奴隷たちの貢献を得たのだった。闇の女王はその荒々しさと、人の魂の暗い洞窟の中を見抜く恐ろしい看破の力で、人々の要求を知り、私にしゃべらせることで彼らにどのようにして熱望していることを手に入れるかを示したのだ。

 座って、呼び起こされた記憶がヴィジョンとして目の前を通り過ぎて行く間、唖然として口もきけない私は、最初に私自身がまだほんの子供だった頃、恐怖や心配を楽しいことによってなだめられていたのを見る。私自身が神殿の内部で、その至聖所の最奥部で無力なまま道具として、ただの手段として、無慈悲にも弄ばれていたのを。それから後の私自身を見る。若々しく美しい若者で、祭りの船の甲板に無意識に倒れ、無意識に熱狂がこみ上げてきて、異様な言葉を言っているのを。それから後も、顔が青ざめて気力がなくなり、たとえ魂が肉体をそそのかし、あがくことで疲れさせ始めても、絶えず道具であることを望んでいるのを。そして今、私の魂が目覚め、己れの母、光の女神に触れて、もう二度と黙りこむことはないであろうと知る。

 夜が来て、師匠は私を置いて去った。他には誰も部屋に来なかった。早朝に食事をして以来、食べ物は何も運ばれて来ていない。この短く感じられる一日に見た、過去の恐ろしい光景のせいで、フラフラする。私は食べる物を探しに行こうと思った。向こうの大部屋に通じる入り口のアーチを覆う厚いカーテンを開ける。するとそこに扉があるーー大きくてがっしりとした扉がーーまるで地下牢の入り口を閉ざしているようだ。こうして私は拘束されていることに気がつき、衰弱と動揺からもとに戻った。食べる物は、与えられないことになっているのだ。アグマハドが私の霊の覚醒を知ったのだ。彼は私の中の霊を殺そうと決意し、彼の目的のために、ただの死んだ体を残そうとしているのだ。

 寝台に横たわり、しなだれている睡蓮のつぼみを唇にあて、眠りに落ちる。

 起きた時、一人の人が傍に立っていた。それが私の新たな師匠となることがわかった。美しい円陣に取り囲まれていることに気づくと同時に、その方の笑顔を見る。嬉しさに跳び上がる。彼から励まされるように見えたからだ。彼は隣りに来て座り、私の手を取る。

 それから私は、彼の微笑みは大いなる平和の光であると知る。彼はこの部屋で死んだーー真理のために。彼は私を兄弟と呼び、出しぬけにこの私の人生という薔薇の花がすっかり咲ききり、落ちて、永遠に他界したのだと気づく。私は純粋な霊の光の中、真理のために生きねばならなかったのだ。そしてどんな苦しみも私を怯ませず、彼の手が私の手に触れた瞬間から、苦しみは私を怖がらせることはできないとわかった。これまでは、苦痛がつねに私を恐怖で盲目にしたが、今はそれを直視し、怖がらずに力強い手でつかむことができる。歓喜の中、眠りに落ちる。目覚めているのか夢見ているのか、わからぬまま。だがわかるのは、この兄弟、遠い昔に肉体の生命が奪われた彼が、火的な魂の強さを私に注ぎ込み、私はそれを失うことはあり得ないということだ。

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