睡蓮の牧歌

古代エジプトが舞台の物語。メイベル・コリンズの手による象徴的なお話です。

2章

 この時から、私の人生の過ぎた日々ほどには正確に説明できない時を過ごすこととなる。それは私の経験した、感情に似たものに曇らされ、ベールで覆われたぼんやりとした時間だった。さらにそれらの感情は一つに合わさり、全く同一のものとなった。日々、快楽に耽溺した。私の美しい同居人が毎時間、より美しくなったように思われ、驚嘆して彼女の顔を見つめるのだった。彼女は大邸宅の部屋べやを通って私を連れ出し、私はそれらの豪華さを見るためにとどまることができなかった。行く部屋行く部屋がつねに、もっと豪華に見えたので、眺めたかったのだが。彼女とともに庭をブラついた。そこには馨しい花が、他所では見たこともないほどたくさん生えていた。庭の向こうは草原になっており、背の低いドジョウツナギが生え、花をたくさんつけている。小川に睡蓮が花開いている。小川は野原を通って流れ行く。夕方になるとここに街の娘たちがやって来て、水を汲んで行く者あり、流れで水浴びをする者あり、その後に川のほとりに腰かけて夜が半分過ぎるまでおしゃべりしたり笑ったり歌ったりしていた。娘たちのきらめく姿とかわいらしい声が夕暮れ時を二倍に美しくし、星空の下、私はそこに長居したものだったし、その最も美しい娘たち全員の恋人である夜明けが来て、恋人たちに愛の言葉をただ囁くしかできないでいる時間まで、そこにいたものだった。そして彼女たちが低い声で歌いながら私を置いて帰って行くと、私も自分自身の最も美しいあの人と一緒に家へ帰るのだった……私たちが住む街の真ん中の、でも街から隔たった邸宅へ。街の中で、この家の中ほど幸せだった場所はないのだから。

 こうしてどれくらいの日々が過ぎたのかわからない。わかるのはただ、ある日部屋で横たわり、とても美しい彼女は頭を私の腕に横たえ、低いきれいな声で歌っていたが、にわかに歌をやめ、じっとしたまま青ざめて黙り込んだということだ。静寂の中、ゆっくりと穏やかな足音が外の階段を上がって来るのが聞こえる。ドアは開き、そこに高位の祭司アグマハドが動かず立っている。

 彼は怖い目で私を一瞬だけじっと見る。まるで宝石のように冷たい目。彼の顔に微笑みが浮かぶ。私はおそれおののき、震える。

 「来たまえ」と彼は言う。

 ためらいもせず起き上がる。従わなければならないと知っていたのだ。私は振り返らない。素早く動く音とすすり泣きが聞こえ、振り返る。でも美しい彼女は、去ってしまっていた。この部屋での予期せぬ状況の前に、逃げてしまったのだろうか? わたしは会うためにそこにとどまることも、彼女をなぐさめに行くこともできない。アグマハドに従わなければならないとわかっている。まるで彼が私の師であると感じたことは、それまでなかったように思われる。ドアから外へ出ようとすると、戸口の向こうに蛇がいて、私に向かって頭をもたげている。恐怖の声をあげて後ろへ跳びのく。

 アグマハドは微笑む。「怖がるな。この蛇は女神のお気に入りだ。女神に選ばれたしもべには危害を加えぬ。さあ来られよ!」

 この命令に私は従わなければならないと感じる。あえて従わないでいることはできない。目をそむけつつ蛇の横を通る。階段のところまで来ると、それがシューシューという怒りの音をたてるのが聞こえる。

 アグマハドは庭園を通って向こうの草原へと進んで行く。夕暮れで、もう空に星が光っている。川のそばに集団で腰を下ろした娘たちの目も輝いている。だがいつものように彼女たちは歌っていない。川の中に小舟があり、二人の漕ぎ手が乗っている。その二人があの時私とこの街へ来た若い祭司たちであることがわかった。二人は目を伏せ、私が近付いても目を上げようとさえしない。少女たちを通り過ぎながら、私にはわかった。彼女たちはその二人の祭司を以前からの陽気な仲間とみなしているのだ。彼女たちは二人がこんな服を着て、いつもと違った態度でいることにびっくりし、不思議な気持ちでいっぱいのようだ。

 アグマハドは舟に乗り込む。私は後に続く。それから私たちは静かに舟を漕ぎ、神殿へと向かう。

 これまで私は一度も、水路からの神殿の入り口を見たことがなかった。かつて母とこの街へ来た時に、この入り口は昔はよく使われていたけれど、もう祭りの時のために取っておかれているのみだ、と聞いたので、今そこから入って行くのは驚きである。でももっと驚くことに、神殿の敷地内は花を飾った舟で埋めつくされ、目を伏せて座る白い服の祭司たちで占められているのが見える。すぐに今日が祭りの日だと気づく。

 この神殿! ここに百年間住んでいたような気がする。アグマハドその人は、馴染みがなくよく知らない感じがする。私は本当にとても年をとったのだろうか? わからない。顔を映して見る鏡もないし、尋ねる友もいない。わかるのは、冒険を強く望んで神殿の庭園から逃げ出した若い頃と比べて、今の私は成人だということだ。そして、私の成人らしさは栄誉ではなく恥辱とともに達せられたとわかっている。私は奴隷だ。神殿に入った時、私の魂に深い闇が定着したのだ。船はいくつかある白い大理石でできた幅広の階段のところへ引き寄せられる。その階段は神殿の壁の内側、屋根の真下にある。この大きな川が、これほど神殿の近くにあったとは、私は知らなかった。階段の最上段に着くと、アグマハドは扉を開ける。すると、見よ! すぐそこに至聖所の入り口があるではないか。沈黙している祭司たちの持つ、わずかな数のほのたいまつがほのかに光り、大きな廊下を照らす。外の川は薄暮の中にある。だがここは真夜中のようだ。アグマハドの合図でたいまつが消される。しかし、すべての明かりが消えたわけではない! 至聖所の扉の輪郭を浮き上がらせ、あの光…かつて私をぞっとさせたあの奇妙な光が放っている。今はもうその光は私をぞっとさせない。そうすべきでないと自分でわかっている。そして、ためらわず、恐れもなく、私は前へ進み扉を開けて中へ入る。

 中には黒いものが立っている。輝くローブをまとった、目が冷たく恐ろしい、その姿が。女神は微笑む。そして手を差し出し、私の手に置く。その手がとても冷たくて、思わず身震いする。

 女神は言う。「アグマハドに言うがよい、私は来るだろうと。私はそなたのそばに座ろう。アグマハドは我々とともに真ん中に立ち、他のわがしもべたちは我々を取り囲むのだ。そして指示する通りにすべてが済んだら、私は全祭司と人々の前で奇跡を行うだろう。私はしもべたちに大変満足している。そしてその者たちに権力と富を与えたいのだ。だからそのようにするのです」

 私は女神の言ったことを繰り返す。言い終わると、暗闇の中からアグマハドの声がする。

 「女神よ、ようこそおいでくださった! お言葉に従いましょう」

 すぐにまた、たいまつに火がつく。十人の人がそこにいる。たいまつを持つ十人の祭司たちは、全員が白いローブを着ている。それらはアグマハドと同様、濃く金色の刺繍が施してある。その中にカーメン・バカもいる。彼の顔は熱烈な感じがする。恍惚の顔のようだ。

 アグマハドは、川の階段へ通じる戸を開く。今はたくさんの船がつながれてある。大きな祭壇の周りに壺が置いてあり、中から焚かれている香が強い香りを放っている。これらの壺は内側に、真っ赤な円が描かれており、何なのかわからない象徴もいっしょに描かれてある。船の横の側、高い甲板の下に、漕ぎ手たちが座っているーー白い服の祭司たちだ。皆、じっと動かず無言で、目を伏せて待機している。船は太い花輪が飾ってある。花輪は集まって、船が出発し太い綱のように見える時まで、塊となっている。船の先端にはそれぞれ、ランプが燃えている。

 我々は船に乗り込む。最初にアグマハドが乗り、人の輪の中央に立つ。私は彼の側の自分の位置につく。私とアグマハドの間に、はっきりと見えるのはあの姿だ。女神は至聖所を照らすあの光と同じ輝きを発している。あまり輝くとは言えぬ光だ。私以外の誰も、彼女がそこにいることがわからないのが見て取れる。

 十人の祭司たちも船に乗り込み、真っ赤な円の中に位置を占める。こうして我々は円の中に取り囲まれる。それから船はゆっくりと階段のある岸から離れる。いくつもの船が私たちの先になったり、後になったりする。すべての船に花とランプが飾られ、白い服の祭司たちを乗せている。静かに行列は聖なる川の真ん中にぶつかり、そこから街へ向かって進んで行く。

 ついに神殿の外側に出ると、遠いささやきのような音が聞こえ、それは大気に広がっている。長くて深いその音をけげんに思い、私は震えるが、それ以外は何も起こらず、すぐにその音のわけもわかった。目が星の光の明るさに慣れてくると、川の両岸の地面いっぱいに押し寄せた、揺れている大衆の姿を私は見る。とても大勢の人々が川の縁にぎっしりと立ち、目に入る限り野原をいっぱいに埋めている。この祭りは大きな祭りで、私は知らなかった。しばらく不思議に思うのだった。しかしすぐに思い出した。実はこの祭りのことは聞いたことがあったが、周りにある今の楽しみに没頭していて、気にとめなかったのだ。おそらく今まで街に住んでいた時に、私は群衆の仲間に加わるべきだったのだ。しかし今、群衆から隔離され、あのすべてが人間らしく思われる。私はアグマハドと同じように黙って佇み、動かない。けれども、私の魂は正体不明の絶望に引きちぎられ、まだ来ていない未知のものへの恐怖に打ちひしがれるのだった。

広告を非表示にする