睡蓮の牧歌

古代エジプトが舞台の物語。メイベル・コリンズの手による象徴的なお話です。

第一部 1章

 それはまだ、しなやかに長いあごひげを生やす以前の幼い頃。私は祭司の見習いを始めるために神殿の門をくぐる。

 私の両親は街はずれで羊飼いをしていた。母が私を神殿の門のところへ連れて行くまでは、街の城壁内に入ったことはなかった。その日は街のお祭りがあるようで、倹約家でよく働く母は二つの目的を果たすためにやって来たのだった。私を目的地へ送りとどけること、そして街の観光地で短時間の休暇を楽しむことである。

 街の通りの雑踏と喧騒に私は心を奪われる。私の性質はつねに大きな全体(こんな小さな規模であっても)に自分自身をゆだねようと努力するものだったと思う。そして身をゆだねることで全体から生命維持の滋養物を吸い取っていたのだった。

 だが母と私は賑やかな人だかりをすばやく避けて行く。そして広々とした緑の平原に踏み入る。平原の向こう側には神聖な、最愛の川が流れている。あの景色をその時の私は、まだ何と無心に見ることだろう。川岸に神殿の彫刻を施した屋根、きらびやかな飾り、周囲の輝かしい建物が、澄んだ朝の大気の中に見える。何も期待していなかったため、怖いものはない。だた、あの門の内側での生活が私の想像と同じくらい美しいものかどうかがとても気になる。

 門のところで、黒い法衣を着た修道士が街から来た一人の女性と話している。その女性は携帯用の瓶に水を持って来ており、祭司にそれを清めてもらいたいと懇願している。彼女はそれを高く売るつもりなのだろう……迷信深い大衆に高い金額で買わせるための品だ。

 立ち尽くして話をする番の回って来るのを待ちながら、門の向こうを覗く。そして畏怖の念に駆られる光景を見る。その怖れは長く続き、のちにそこへ入っていつもその異彩を放つ人の姿に接するようになっても続くのだった。

 それは白い法衣を着た一人の祭司で、ゆっくりと広い小道を門に向かって歩いて来る。かつてたった一度、街を訪れた時を除いては、白い法衣の祭司たちを見たことがなかった。あの時には川を前進する神聖な船の中に何人かの祭司たちを見たのだった。

 でも今はこの人物はすぐそこにおり、こちらへ近づいている。……私は固唾をのむ。

 風は全然ない。その祭司が小道の日影を歩いて来た時、厳かな白い法衣は、まるでそれをそよがすことのできる微風などこの世に存在しないように思われる。祭司の足取りはそれと同じように落ち着いたものだ。彼は歩いて来るが、ほとんど動いていないように見え、まるで死すべき人間の荒々しい動きとは異なる歩き方のようである。彼は地面を見ているため、その目を見ることはできない。私はその垂れた瞼が上がるのをたいへん恐れた。彼の顔色は白く、髪は鈍い金色である。あごひげは長くたっぷりとあり、やはり同じように奇妙に静止したままで、ほとんど彫刻のようだ。それが風になびくとは想像できない。まるで金貨に彫られ、未来永劫、堅いままの彫像であるかのように思われるのだ。その人の全体的な印象はそんなふうだ。全存在が、人の普通の生活からかけ離れているようである。

 修道士は振り向く。おそらく私が凝視するのにつられて気がついたのだろう。祭司は少しも足音がしなかったからだ。

 「あっ、アグマハド祭司がいらした。聞いてみよう」と修道士は言う。

 背後で門を閉じてから、彼は向こうへ引っ込む。彼が祭司に何かを話すのが見える。祭司はかすかにうなずく。彼は戻って来て、女の人から水の入った瓶を受け取り、祭司のところへ持って行く。祭司はその瓶の上に一瞬、手を置く。

 女の人はたくさんお礼を言って帰って行く。それから今度は私たちの用件を聞かれる番だ。

 すぐに私は黒い法衣の修道士とともにそこへ取り残される。後悔はしていなかったけれど、非常に怖くてたまらない。それまでに父が飼っている羊たちの世話をするという普段の務めを好んだことは一度もなかった。そしてもちろん、一般大衆とは別の何かにこれからなろうとしている……という鼻の高い思いに、すでに心はいっぱいだ。その考えにある卑しい人間性は、のちに明るみに出されることになる。つまり永久に家を出てついに新たな未経験の人生行路に入って行くことよりも、もっと厳しい試練が待っていたのだった。

 背後で門が閉じられ、その黒い法衣の人が腰から下げた大きな鍵をかける。でもそのせいで監禁されたようには感じない。人里離れた場所の隔絶感だけがある。目の前に起きているような状況から、いったい誰が監禁されることを連想しようか?

 神殿の扉は門に面しており、広くて美しい道の向こうの端にある。その道は自然にできたのではなく、木々が植えつけられた並木道で、木々は茂りどれものび放題だ。大きな石桶に巨大な灌木が植えられているが、たいへん入念に剪定し誘引され、奇妙な形を形成している。灌木と灌木の間には彫刻を施した真四角の石塊が置いてある。門の間近にスフィンクスや他の半人半獣の像があるが、それ以上もの珍しそうに眺め続ける勇気は私にはなかった。再び金色のひげの祭司アグマハドが、いつも行き来する散歩道をこちらへやって来るのが見えたからだ。

 導き手の横を歩きながら、私は地面を見たままである。彼が立ち止まると私も止まる。祭司の白い法衣の裾が目に入って来る。その裾には象徴の符号が金色で精巧に刺繍してあり、しばらくの間私の注意を奪い不思議の念で満たすに十分である。

 「新しい見習いか」静かな声がそう言うのが聞こえる。「ふむ、学舎へ入れておやり。でもまだ若すぎるな。少年よ、顔を上げなさい。恐れなくてもよい」

 顔を上げる。そうすることで勇気が出る。こちらを注視する祭司と、はたと目が合う。きまりが悪いながらもその目を見ると、色が青やグレーに変化している。柔和なその色とはうらはらに、祭司の声は勇気づけられるようなものではない。実に穏やかで知識に満ちているが、聞くと震え上がるような声だった。

 彼は私たちにもう行ってよろしい、と言うように手を振り、再び道をむらのない歩き方で歩いて行く。その一方で、前よりずっと震え出しそうな私は、無言の案内人に黙ってついて行く。成形されていない巨大な石塊のそばに神殿の大きな中央門があり、そこから入って行く。神聖な祭司の両眼に厳しい尋問を受けて、おそらく一時的な恐怖のようなものが湧いて来たのだろう。私はこれらの石塊を漠然とした恐怖感を持って眺める。中央門から、建物を突き抜ける道に沿ってのびる長い通路が見える。だがそちらへは行かない。そこから外れ、網状に広がる細い廊下へ向かう。そして空っぽの部屋をいくつか通り抜けて行く。

 ついに大きく美しい部屋へ来る。美しいと言っても全くがらんとして、隅のテーブル以外には何もない。それでもその部屋は壮大で、建造物としての気品にあふれ、建築的な美を識別することに慣れていない私の目にさえ、不思議にも満足感とともに感銘を与えた。

 部屋の隅のテーブルで若者が二人、何かを書き写すか描写しているが、何を書いているのかよく見えない。なにしろ彼らはとても忙しそうに見える。私たちの入って来たのを見るために頭を上げることもほとんどしない彼らが不思議だ。だがさらに、壁から大きく突き出た石の陰で、年老いた白い法衣の祭司が膝の上に置いた本を見ているのに気づく。

老いた祭司は私をここへ連れて来た修道士が目の前でうやうやしくお辞儀をするまでこちらに気がつかない。

 「新弟子だと?」老祭司はそう言って、ぼんやりかすんでよく見えない目で鋭く見る。「何ができるんだ?」

 「たいして何もできないでしょう」と、穏やかな声で軽蔑を込めて、導き手はそう言う。「この子は羊飼いだったのです」

 「羊飼い!」とおうむ返しに老祭司が言う。「ここでは使いものにならんな。庭仕事がぴったりだろう。筆写や描写を学んだことはあるか?」私のほうを向いて彼はそう聞く。

私はそれらを学んではいたが、今求められるような嗜みは、祭司を養成する学舎や、聖職者以外で高度な教養を有するわずかな階級以外にはめったに持ち合わせていないのだ。

 老祭司は私の両手を眺めると、また本へと戻る。

 「その子もいずれは学ばねばならんが、」と老祭司。「今は仕事が忙しすぎて教えてやれん。猫の手も借りたいくらいだ。これらの聖典の筆写をやり終えねばならんから、その無学の子に教えている暇がないのだ。しばらく庭園へ行かせておけ、そのうち取り計らってやろう」

 導き手はくるりと向きを変え、部屋から出て行く。もう一度美しい部屋を見回してから私は彼について行く。

 長い長い廊下は暗くて、涼しくさわやかである。突き当たりはドアではなく門扉になっていて、導き手はけたたましくベルを鳴らす。

 ベルが鳴ってから黙ったまま待つ。誰も来ない。導き手はまたすぐにベルを鳴らす。私には急ぐ気持ちはなかった。門扉の柵に顔を押し付け、外の世界を見て必然的に心の中でこう思う。「あのかすみ目の祭司がまだしばらくは僕を庭園から連れ出そうとしないのは、悪いことじゃないな」

 家から街までは埃っぽく暑い道のりだった。舗装された道が田舎育ちの私の脚を果てしなく疲れさせたようだ。今、神殿の門扉の内側にいる私はまだ大きな並木道をやって来たばかりで、そこでは見るものすべてが感慨無量だったし、すべてに怖れおののいていたので、よく見るということができない。だがここはうっとりするような、すがすがしい美観の世界だ。このような庭園は見たこともない。緑がある。深い緑だ。水の音がしている。管理された静かな川のせせらぎは、いつでも人に水を供給し、猛暑のさ中に元気づける用意ができている。せせらぎは生彩あふれる壮麗な川だと言われ、庭園の外観に豪華さを加えている。

 三度目のベルが鳴った――そして緑の茂みから黒い法衣の人影が来るのが見える。そこでは黒い服がなんと場違いなことか! うろたえながら私は思う。あの黒い法衣は遠からず自分も着るはずだ、そしてそれを着てこの魅惑的な場所のなまめかしい美しさの中を、闇の領域から迷い込んだ生き物のようにさまようはずだ、と。

 目の粗い刷毛で塗った仄かな木の葉の一群のように、その人影は近づく。近くまで来たその顔に突然、興味が湧き、じっと見入る。私はこの人に預けられ、世話してもらうのだろうと思う。それも無理はない。その顔はどんな人の胸中にも興味を呼び起こす顔なのだ。

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